老人ホーム 管理栄養士奮闘記 ~ 防災 非常食 ~

こんにちは。外部執筆スタッフの管理栄養士 長谷川晴美です。

管理栄養士奮闘記と題しまして、有料老人ホームでの経験をお伝えしていきます。

今回は 防災 非常食 についてです。

皆様の何かのお役に立てれば、嬉しいです。

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介護施設における非常食の考え方

非常食は3食3日9回分、常食と介護食、入居者と職員分を準備していました。

夜間帯に災害が発生した場合に入れ歯をしていないことも想定し、介護食は必要人数よりも多めにしていました。

最初の3回は火を使わなくても食べられるものとして、そのまま配って飲食できるお粥のレトルトパックやパンの缶詰、お茶缶等にし、介護食は9回分すべてそのまま食べられる商品にしていました。

おかずは、普段提供している献立でアレンジして使えるような魚や肉の缶詰を選び、期限前に献立に入れて使用するようにし、できるだけ廃棄がないように考えていました。

東日本大震災後は、工場が被災し魚缶詰の入荷ができなく、メニューを変えた期間もありました。

その他の備品として、1箱50人前のご飯を作るのにお湯が必要なので(水でも作れます)、5年保存の水、カセットコンロやカセットボンベ、お祭りに使用しているコンロやLPガス、やかんや使い捨て食器類も、防災倉庫に置いていました。

必要な水の量やガスの量は、間違えがないようしっかり計算しつつ多めに準備し、防災倉庫は、設置場所の地盤が弱いところだったので移動をしたり新しくするなど、できる備えをしていきました。

防災意識を高めるために

東日本大震災よりかなり前の時期に、夜中に震度5以上の地震があり、「とうとう来たかー」と恐怖を感じるくらいの大きな地震がありました。

自宅で寝ていた私は、とっさに娘たちをかばいながらおさまるのを待ち、おさまって一安心したところで、職場が心配になり電話をしました。

電話に出た夜警さんからは、被害はないようだとのことで、「何かあったら行くので電話をください」とお伝えして電話を切りました。

翌日、出勤をしたときに夜警さんから聞かされたのは、職場に心配の電話をしたのが、私と介護課長のみだったらしく、理事長が落胆していたという話でした。

その後、「地震時はどんな行動をして何を思ったか」などのアンケートが配られ、これを期に、経営者側は職員の意識改革に力を入れていきました。

のちに防災委員会が立ち上がり、様々な活動が活発に行われていきました。

有料老人ホーム協会主催の事例研究発表会というものが年1回行われていました。

テーマは、認知症対応や苦情対応、食事やリハビリ、防災など様々です。

施設長が元自衛隊員で、避難訓練の厳しさに職員みんなが悲鳴をあげているという、ちょっとクスッと笑える話もありましたが、私が参加させていただいた年度は、東日本大震災の後でしたので、福島県の施設での生々しい体験談を聞くことができ、胸がつまる思いになったのを今でも覚えています。

他人事ではないことを再認識し、直接体験談を聞くことにまさるものはないと感じました。

防災委員会との連携

防災委員会が設置され、様々な想定をした避難訓練や必要と思われる設備などが徐々に整えられていきました。

私自身も、非常食メニューや防災倉庫の鍵の場所の周知徹底等を知ってもらうために、希望して防災委員会に入れてもらいました。

東日本大震災後は、「非常食は5~7日分あった方が望ましい」「温かい物や甘い物が嬉しかった」との情報が防災委員会から入り、厨房の材料で3~4日分の材料と甘い物も常にあることを確認し、防災倉庫の備蓄は今まで通りの3日分でいいことにしました。

期限が切れるものを利用し、職員や入居者対象の非常食講習会や各部署で炊き出しの練習などもしてもらいました。

入居者と職員に、缶詰等を配っている最中に、1ケースだけ期限が切れているものがあることに気づいて、あわてて回収したという失敗もありました。

うっかり期限を切らせてしまったときには、注文し納品されるまでの間は、「どうか災害がおきませんように・・・」と願いつつ、配れないものを開けて中身を捨てる作業も、かなりの一仕事でした。

以上のような失敗がないよう、その後は私だけでなく、二重チェックで防災委員にもチェックしてもらうシステムにしました。

私たち栄養士も施設の一員として、想定外がないよう危機管理能力を最大限に発揮し、できる準備をしっかりしておきたいですね。

しかしながら、災害が起きないことを切に願います!

次回は、栄養ケアについてお伝えする予定です。